富山地方裁判所 昭和33年(わ)12号 判決 1959年8月25日
被告人 松岡松平
明三二・一二・一五生 弁護士
林唯義
明三五・一・二七生 会社々長
佐藤利次
明三三・九・二九生 農業
主文
被告人松岡松平を懲役一年六月に
被告人林唯義を懲役一年に
被告人佐藤利次を懲役十月に
各処する。
但し、被告人佐藤利次に対しては、本裁判確定の日から三年間、右刑の執行を猶予する。
被告人松岡松平より金四、九二三、五〇〇円を追徴する。
訴訟費用中、証人斉藤大六、同平野幸雄、同水戸慶治、同村田恒治、同長谷川卓児、同佐藤玄、同橋詰恒三、同山崎沖之助、同高橋孝、同長井ヒデ、同横井春見、同松岡七次、同金谷一雄、同島繁(贈収賄事件)、同阿折俊正、同島とし枝、同佐藤政勝(贈収賄事件)、同黒田久太、同西野義治、同池田吉太郎、同城田幸里、同安部茂、同元吉甚一に支給した分は被告人松岡松平、同林唯義の負担とし、
証人坂口仙太郎、同島繁(業務上横領事件)、同早瀬兼三、同中川元次郎、同絹川健治、同竹中太市、同佐藤政勝(業務上横領事件)、同平口久吉、同桃井千代、同坂口ふさ、同早瀬きゆ、同水上清太郎、同島清義、同近藤航一郎、同斉藤純一に支給した分は、被告人林唯義、同佐藤利次の負担とする。
本件公訴事実中、被告人林唯義に対する昭和三二年六月一五日附起訴状中第二の二に記載された業務上横領の点につき被告人林唯義は無罪。
理由
(被告人等の経歴及び職務権限)
被告人松岡松平は、昭和三〇年二月施行の衆議院議員総選挙に富山県第一区から立候補して当選し、同年三月召集の第二二国会、同年一一月召集の第二三国会、及び同年一二月召集の第二四国会において、決算委員に選出されていたもので、衆議院決算委員会の委員として、憲法、国会法及び衆議院規則に基き、右委員会の所管事項に属する審査案件に当つては、質疑、意見の陳述、表決をなし、その所管に属する調査案件に当つては、質疑、意見の陳述をなす職務権限を有していたもの、
被告人林唯義は、富山県婦負郡細入村片掛部落に居住している者で昭和二八年一〇月下旬に右部落内北陸電力株式会社(以下北電と略称)神通川第一発電所ダム湛水に因り発生した右部落内ダム沿岸地の一部崩壊について、同年一一月初旬頃から、同部落の佐藤利次等と共に北電に対し、右ダム沿岸地帯の護岸工事の施行並びに右に関連する諸問題解決の衝にあたり、昭和三〇年七月上旬右部落民により片掛部落沿岸保全期成同盟会(以下同盟会と略称)が結成されるや、その会長となり護岸問題に関し、北電との交渉並びにこれに伴う金銭の保管収支等の業務に従事していたもの、
被告人佐藤利次は、富山県婦負郡細入村片掛部落に居住し、同部落の総代を勤め、同部落諸経費の収支並びに部落共有金保管等の業務に、又同部落に前記同盟会が出来るや、副会長となり、前記林会長と共に、護岸問題に関し、北電との交渉並びにこれに伴う金銭の保管収支等の業務に従事していたもの
である。
(罪となる事実)
第一、被告人林は前記佐藤利次等と共に、昭和二八年一一月初旬頃から前記湛水による崩壊地点の護岸工事について、北電との間に護岸工事の施行等に関して交渉して来たが、北電側は、崩壊土地を損害補償の意味で買収するとの考を表明して、交渉は何んら進展しないので、同人等は県会議員の金厚伴二、同大場義郎等を介して、北電や、県庁方面に交渉していたが、依然交渉は進展せず、遂に地元選出代議士の政治力を借りて、問題を解決しようと考え、最初は地元選出代議士の佐伯宗義に頼んだが、同人の被告人松岡が適任であるとの勧告により、昭和三〇年五月頃から、被告人林等は、前記大場義郎を介し、被告人松岡に護岸交渉の尽力方を依頼し、同年六月中旬、富山市内の旅館八正園において、被告人松岡と面接し、護岸問題の解決尽力方を依頼したところ、同人はこれを了承し、同人の富山における後援会の幹部である金谷一雄を右護岸問題解決交渉のために部落の補助者として推せんした。そこで、被告人林等は金谷から運動の方法についての指示勧告に基き、先ず昭和三〇年七月片掛部落に前記同盟会を作り、被告人林を会長に、佐藤利次を副会長に選び更に強力な運動を開始したが、右金谷は本件護岸問題を国会において、特に衆議院決算委員会(以下委員会と略称)において問題にすることにより、北電と片掛部落間の問題を解決しようと図り、昭和三〇年七月中旬頃から衆議院決算委員会調査室にしばしば調査方の陳情をなしていたが、被告人松岡は被告人林、金谷等の本件護岸問題の解決方法に対し異を唱えることはなかつた。被告人松岡は、本件護岸問題が自己の選挙区内の出来ごとである上、万が一にも大崩壊が発生した場合のことを考えれば、これは早急に護岸措置を講ずる必要があるものと考え、同年七月二九日(第二二国会)の委員会に委員として出席し、同委員会の所管事項である昭和二八年度一般会計歳入歳出決算中、通商産業省所管分の審査(以下審査案件と略称)に関連して、政府委員に対する質疑において、本件護岸問題に言及し、日本開発銀行の融資を受けて建設された神通川第一発電所ダム湛水のため、片掛部落の耕地が甚だしく侵害を受けているに拘らず、北電はこれに対し、誠意ある態度を示さず放擲しているとの趣旨の発言をなし、政府関係機関の調査を要求し同年一二月九日(第二三国会)の委員会においても前記審査案件の審議において同旨の発言をなし、その後同年一二月一五日(二三国会)の委員会において、「昭和二八年度決算中、通商産業省所管及び日本開発銀行の電気事業に関する融資」に関連して、当日本件護岸問題について調査のため、参考人として出席した被告人林及び片掛部落から崩壊地帯の地質調査を委嘱されていた斉藤大六に対し、本件護岸問題の経過、現況、並びに崩壊地点の状態について質問し、更に昭和三〇年一二月二〇日(第二四国会)本件護岸問題が政府関係機関の収支(日本開発銀行の神通川電源開発融資)に関する独立の調査案件(以下調査案件と略称)となり、翌昭和三一年三月五日(第二四国会)の委員会において、右調査案件について、参考人として出席した北電社長山田昌作に対し、「何故に護岸工事をしなかつたか、又私は個人的斡旋は出来ない、委員会等を通じて解決したらどうかと勧告したにも拘らず、何んら誠意ある態度をとられない、直ちに解決する意思があるのか」等の発言をなし、同年五月二五日(第二四国会)の委員会において、右調査案件について、証人として出席した前記山田昌作、北電鵜飼建設部長及び被告人林に対し、各質問し、この際右山田昌作は、被告人松岡の質問に答えて、(1)崩壊土地の買収について適正価格をもつて相談する。(2)部落の産業開発に協力する。(3)部落側の支出した斗争費については、ある程度の協力はする。との三点について努力する旨の本件護岸問題解決案についての大綱を証言した。この間(昭和三〇年九月中旬から昭和三一年五月下旬頃まで)被告人林、佐藤利次等は、金谷一雄の助力を受けつつ、約九回に亘り上京し、委員会の各委員、通商産業省等に陳情を続けて来たが、右五月二五日の委員会終了後は、前記山田昌作の証言内容を本件護岸問題解決の基本線として、北電と部落との交渉は、上林決算委員長の仲介等もあり進展し、同年九月七日、被告人松岡の渡米等により交渉は一時中断したが、帰朝後、更に協力費、斗争費の額等についての交渉が続けられた結果、同年一一月二〇日、東京都港区赤坂町五番地赤坂ビル内被告人松岡の事務所において、北電側から前記社長山田昌作、副社長山本善次及び四方山課長、片掛部落から代表として被告人林、佐藤利次立会人として被告人松岡並びに田中彰治(当時衆議院決算委員)等が出席し、崩壊土地の買収、部落斗争費の実費相当額(五、〇〇〇、〇〇〇円)、部落の産業開発協力費(一五、〇〇〇、〇〇〇円)支払等につき定めた協定書並びに覚書が北電側から部落代表に手交され、その際右五、〇〇〇、〇〇〇円、一五、〇〇〇、〇〇〇円の二口についてはそれぞれ北電東京支社長振出、北陸銀行東京支店宛の銀行渡小切手により支払われ、本件護岸問題は、被告人松岡の衆議院決算委員としての職務行為及び地元選出代議士としての尽力を通して解決したものであるが、
(一) 被告人林は、佐藤利次等と本件護岸問題が解決に近ずいた昭和三一年一〇月頃から被告人松岡をはじめ本件護岸問題解決に尽力した人達に対する謝礼について相談していたが、昭和三一年一一月二〇日午前一〇時頃、前記協定調印の際一五、〇〇〇、〇〇〇円と五、〇〇〇、〇〇〇円の小切手二通を受領するや、被告人松岡が、かねて前記田中彰治から自己の取引先である住友銀行に預金してくれと依頼されていたので、被告人林は同松岡と共に、東京都世田谷区にある住友銀行成城支店に赴き、一五、〇〇〇、〇〇〇円の小切手分を被告人林名義で期間一年の定期預金とし、五、〇〇〇、〇〇〇円の小切手分は、五〇〇、〇〇〇円を現金で受領し、四、五〇〇、〇〇〇円は住友銀行富山支店宛、被告人林唯義名義の預金口座に振込み送金した。この際被告人林は謝礼金捻出のため、右成城支店から右一五、〇〇〇、〇〇〇円の定期預金を担保として五、〇〇〇、〇〇〇円の借入れを企て、借入名義を不動産売却関係費用及び運転資金とし、現金の交付を求め、右支店は借入目的が買上げ土地代金の支払の充当であると聞き、貸出すことになつたが、右支店の都合で、利息を差引いた四、九二三、五〇〇円中四、〇〇〇、〇〇〇円は右支店発行の小切手、残額は現金で受領した。その際、右支店に紹介者として来た前記田中彰治において、右四、〇〇〇、〇〇〇円の小切手の現金化を引受けたので、被告人林は右支店を退去するや、その足で東京都千代田区平河町にある右田中彰治の事務所に赴き、同事務所で長井ヒデから右小切手と引換えに現金四、〇〇〇、〇〇〇円を受領し、同日、前記赤坂ビル内の松岡事務所に戻り、同所において被告人松岡に対し前記護岸問題解決への同人の冒頭記載の衆議院決算委員としての職務上及び地元選出代議士としての尽力に対する一括謝礼として現金四、九二三、五〇〇円を供与して贈賄し
(二) 被告人松岡は、前記日時場所において、被告人林から前記の趣旨をもつて供与されるものであることを知りながら、前記四、九二三、五〇〇円を受領し、もつてその職務に関し、賄賂を収受し
第二、(一) 被告人佐藤が、前記部落総代に就任した昭和三一年一月初旬には部落共有金は、二、八一〇、四〇五円であつたが、その後預金利子が加算され預金合計二、九四五、五七〇円に増加したが、この共有金は、昭和三〇年七月の部落総会の承認のもとに、前記同盟会の経費として流用することになつていたところ、被告人佐藤は、昭和三〇年九月頃から昭和三一年一〇月頃迄に領金中から二、九四〇、〇〇〇円を払出し、その収支保管を扱つていたが、昭和三一年一一月二八日頃、婦負郡細入村片掛の被告人佐藤の住居地において冒頭記載の自己の業務に関し、保管中の右部落共有金の内から運動費水増分として二七九、八六〇円、銀行利子を隠匿したもの一二九、五九五円、合計四〇九、四五五円をほしいままに着服して横領し、
(二) 被告人林、同佐藤は共謀の上、昭和三一年一一月二八日頃、婦負郡細入村片掛所在の被告人林宅において、冒頭記載の各自己の業務に関し、共同保管中の部落共有金(前記北電から部落に交付された斗争費五、〇〇〇、〇〇〇円)から被告人両名共各自金五〇〇、〇〇〇円宛(合計一、〇〇〇、〇〇〇円)をほしいままに着服して、横領し
たものである。
(証拠の標目)(略)
(補足的説明)
尚判示第一の贈収賄関係の事実について、(一)被告人松岡の職務権限について、(二)本件の金員の授受関係を供与とみるか、どうかの事実認定について、補足的に説明を加えることにする。
第一、被告人松岡の職務権限について
被告人松岡及びその弁護人等は、被告人松岡が衆議院決算委員として委員会において、昭和二八年度一般会計歳入歳出決算中通商産業省所管分に関連して電源開発行政について政府委員に質問しまた日本開発銀行の電源融資に関する調査案件について、参考人証人に対して質問したのは、決算委員としての権限の行使で、公的使命の遂行としてなされたものであり、他方北電と片掛部落との間に介在して両者の紛争和解の斡旋をした行為は、被告人松岡の政治家、法曹人としての所謂個人的行為である。而して被告人松岡の委員会における職務行為と両者の間に立つてした所謂和解斡旋の個人的行為とは全く関連性がなく、且つ本件護岸問題は北電と片掛部落との間の和解契約によつて、その解決を見るに至つたものであるから、その和解契約が被告人松岡の前記個人的行為としての斡旋により成立したとしても、これを被告人松岡の決算委員としての職務行為の領域にまで延長し、右和解契約の成立と右決算委員としての職務行為との間に関連性がありと考えるのは失当であると主張する。
然し乍ら本件護岸問題は判示のような経過により昭和三〇年六月中旬頃、片掛部落から被告人松岡にその解決方を依頼し、被告人松岡はこれを受託し、その後判示のように数次に亘る委員会が開かれ、これ等の委員会において被告人松岡は決算委員として前記受託の趣旨に副う職務活動をし、その結果徐々に本件護岸問題の解決案が具体化の方向に進み、遂に同三一年五月二五日の委員会において、決算委員としての被告人松岡の質問に答えて北電社長山田昌作からその解決案の大綱が提示されるに至つたものであることは、判示認定したとおりである。従つてこの間における被告人松岡の決算委員としての職務行為が弁護人等の主張するように同被告人において何等の私心なく、公的使命を遂行する自覚のもとになされたものであつたとしても、右山田昌作の前示護岸問題解決案の提示は正式な決算委員会の席上において、決算委員としての被告人松岡の職務上の質問に答えてなされたものであるから、右解決案の提示は決算委員としての被告人松岡の職務行為に関して為されたものと謂わなければならない。尤も本件護岸問題は右昭和三一年五月二五日の決算委員会における北電社長山田昌作の前示解決案に関する証言によつて最終的に解決したものではなく、その後被告人松岡等の数次に亘る交渉の結果、同年一一月二〇日正式に和解契約の成立を見るに至つたものであり、右昭和三一年五月二五日の決算委員会以後における被告人松岡の行為は弁護人等の主張するように、決算委員としての職務行為とは認められないが、前示昭和三一年五月二五日の決算委員会における北電社長山田昌作の解決案に関する証言は、それが国会における決算委員会の公的な席上において為されたものであり、且つ同人が北電における最高責任者である地位にかんがみ、本件護岸問題に関し、最も権威ある、然かも将来これを変更することを許さない不動の基本的解決案とみてよく、本件護岸問題はこれによつて実質的に解決をみたものと認めても過言ではなく、その後の交渉はその交渉経過において難渋はあつたとしても、むしろ、右基本的解決案を具体化するための細目的交渉に過ぎないものであつたことが前顕各証拠によつて明らかであるから、右細目的交渉の段階における被告人松岡の斡旋行為が弁護人等の主張するように個人的な斡旋行為であるとしても、本件護岸問題に関する和解契約の成立は被告人松岡の決算委員としての職務行為に関してなされたものと認めなければならない。また北電側においても、片掛部落においても本件護岸問題は判示委員会並びに決算委員としての被告人松岡の尽力により解決されるものと信頼し、それまでの交渉経過も外形的には委員会が一連の行為としてこれ等の交渉に当つているような形態と印象を関係者に与えたものであることが前掲各証拠によれば認められる。即ち、当公判廷(贈収賄事件)における証人山田昌作、同山本善次の証言によれば、北電側も、被告人松岡の本件護岸問題解決までの行動は、決算委員並びに地元選出代議士としての資格で斡旋解決したものであると考えていたことが認められ、また右のことは、前掲北電山田社長から上林決算委員長宛の封書(昭和三三年裁領第六六号の証第一三号)によつても充分窺えるところであり、一方部落側について見れば、被告人林、佐藤利次の検察官に対する前掲各供述調書、当公判廷における証人金谷一雄の証言を綜合すれば、部落側は本件護岸問題は地方有力者の尽力では到底解決出来ないため、結局政治力の大きい地元選出の国会議員の力を借りなければ目的を達せられず、その為、被告人松岡に依頼する一方、地元選出の代議士佐伯宗義、三鍋義三らにも尽力を依頼し、他方本件護岸問題を国会関係、特に衆議院決算委員会に持込むことにより問題解決を図らんとし、その為各決算委員に対して陳情をくり返していたことが認められ、また被告人林より田中彰治決算委員に対する書翰(昭和三三年裁領第六六号の証第五一号)、被告人林の佐藤利次宛、佐藤利次の佐藤利一宛各封書(昭和三三年裁領第六六号の証第一七号)並びに昭和三〇年一二月一五日付、昭和三一年五月二五日付の各決算委員会会議録中、被告人林の供述の記載によつてもこれらのことが明らかである。
第二、賄賂の供与かどうかの事実認定について
判示昭和三一年一一月二〇日東京都港区赤坂榎坂町五番地赤坂ビル内の被告人松岡の事務所において、被告人林から、同赤坂ビル内東亜産業専務取締役兼経理部長下坂順吾に現金四、九二三、五〇〇円が手渡され、同人がこれを受領した上、同ビル備付の金庫内に保管した事実は前掲の各証拠によつて明らかである。右の金員授受関係を目して検察官の主張するように賄賂と認めることができるかどうかという点が本件贈収賄罪成否に関する基本的な事項である。
この点について、被告人林は当公判廷において北電から交付された金一五、〇〇〇、〇〇〇円の部落共有金の一部を利用してこれを株式に投資し、これによつて片掛部落のための利殖を図るため右下坂順吾に株の買付を依頼し、その買付資金として本件の金四、九二三、五〇〇円を同人に手渡したものであると述べ、被告人松岡は右金員の授受については全く関係がないと主張している。
当裁判所は判示各証拠を検討した結果、この金銭の授受関係を賄賂の供与と認定した次第であるが、その主な理由の大略は次のとおりである。
(一) 下坂順吾の検察官に対する各供述調書、横井春見の証人尋問調書及び同人の検察官に対する各供述調書、買付伝票(昭和三三年裁領第六六号の証第七七号)、受取小切手控帳(昭和三三年裁領第六六号の証第八〇号)等によれば、下坂順吾は昭和三二年二月一五日頃、第二回目の株買付として山二証券株式会社から志村化工二〇、〇〇〇株を代金合計二、八〇九、〇〇〇円で買受けており、この株代金に支払われた金員中に被告人林が自己の持株などを売却して得た小切手二通金額合計一、七〇〇、〇〇〇円が含まれていることが明らかであり、而して右小切手二通は被告人林の検察官に対する昭和三二年六月二五日付、同二六日付、同二九日付の各供述調書並びに当公判廷における供述、佐藤利次の当公判廷における供述によれば、被告人林は右株買付直前の頃、片掛部落等において合計三、〇〇〇、〇〇〇円位を目標としてその金策にほん走し、その金策の得られなかつた分の一部分として自己の持株などを売却して得たものであることが認められるのである。当裁判所は昭和三二年二月一五日頃、下坂順吾から前示のように株買付代金として現実に支払われた右小切手二通を含む右三、〇〇〇、〇〇〇円にも上る巨額の金員を、その頃被告人林において何故に急遽捻出しなければならなかつたかの理由について多くの疑問を抱かざるを得ない。被告人林は右三、〇〇〇、〇〇〇円は鉄道誘致運動の資金として必要であつたと述べているけれども、当時右鉄道誘致運動のために右のような巨額の金員を急遽必要とする情勢にあつたと認められる合理的な証拠はなく、若しその必要があつたのであれば、被告人林は当時北電から交付された一五、〇〇〇、〇〇〇円を片掛部落から鉄道誘致運動のためならば自由に使用し得る権限の委任をうけて保管していたのであるから、これを使用し得た筈であり、これ等の資金を得るために態々自己の持株を売却したり、他人から秘密裡に金策を得る必要がなかつたものと認められるから、被告人林の供述は信用することができない。却つて前記各検察官に対する各供述調書において、当時急遽右のような金策にほん走しなければならなかつた経緯について一々供述しているように、被告人松岡の何等かの形による要求によりなされたものであると認められるのである。以上のことは、一面において、前記第二回目の株買付をした昭和三二年二月当時においては、下坂順吾の手許には片掛部落のための保管現金は既に存在しなかつたのではないか、意味を換えて言えば、本件の金員は片掛部落のためにする適法な株買付を目的とした金員保管の委託関係のものではなかつたのではないかとの疑を持たせるものである。なんとなれば、若し下坂順吾が適法な金員保管の委託関係によつて判示金四、九二三、五〇〇円を保管したものであるとすれば、同人はそのうち第一回目の株購入の際既に金二、一八〇、〇〇〇円を支出しているのであるから、その当時下坂順吾の手許には計数上その差額である金二、七四三、五〇〇円が当然保管されていることになり、差当り第二回目の株買付資金に窮することがない筈であり、殊更に前記小切手二通が右株買付代金として支払われる理由がなく、また佐藤利次の証言並びに同人の証人尋問調書、佐藤政勝の検察官に対する各供述調書、水戸慶治の証人尋問調書等の証拠によつて一点の疑もなく明らかであるように、被告人林が右第二回目の株買付をする直前において、然も計数的には第二回目の株買付資金とほぼ同額に近い一連の金策を何故に緊急にして且秘密裡に行わねばならなかつたかを理解することができないからである。尤も弁護人等は当時下坂順吾の手許には尚二、七四三、五〇〇円を保管していたのである。唯当時偶々被告人林から前示小切手二通の保管を依頼されていたので、第二回目の株買付の代金として右の保管現金に代えてこれを使用したまでのものであり、保管現金は計数上何等の増減もなく存在していたものであると主張しているけれども、当時右小切手二通を含む約三、〇〇〇、〇〇〇円に上る金策関係そのものが、前述したような経緯によるものと認められるのであるから、弁護人等の右主張だけでは当時保管現金が計数上増減なく保管されていたものであることの証明とはなり得ない。仮に弁護人等の主張するように右小切手二通に代わるべき現金は依然として下坂順吾の手許に保管されていたものであるとすれば、更に次に述べる疑問を生ずる余地を残すことになる。
(二) 即ち近藤航一郎の証人尋問調書、下坂順吾の証人尋問調書、メモ(昭和三三年裁領第六六号の第五七号)によると、昭和三二年五月一〇日頃、下坂順吾から被告人林に対して買付株券、保管現金など一切を引渡すことになつたのであるが、その際下坂順吾から被告人林に対し、保管金の支出状況を明確にするメモが手渡されており、右メモには(一)預り金五、〇〇〇、〇〇〇円、(二)株式四、九八九、〇〇〇円、(三)残金一一、〇〇〇円である旨が記載されている。然し乍ら下坂順吾が被告人林から受取つた金員は判示のとおり四、九二三、五〇〇円であることが明らかであるに拘らず、預り金五、〇〇〇、〇〇〇円と記載され、この数額を計算の基礎としていることが先ず正当な金員保管の委託関係の存在を疑わしめるのみならず、残金として僅かに一一、〇〇〇円のみが現実に引継がれている事実に注目すべき点があると考えられる。即ち昭和三二年二月一五日頃の第二回目の株買付代金のうちに被告人林が別途に捻出した小切手二通金額合計一、七〇〇、〇〇〇円が含まれていたことは前記認定のとおりであり、右小切手二通は下坂順吾が述べているように、同人が当時の保管現金に代えて支払つたものであるとすれば、同日以後右引継ぎに至るまでの保管現金は右小切手に代わる現金(うち一〇〇、〇〇〇円の小切手の分については差当り別問題として)を含め、計数上尚一、五〇〇、〇〇〇円以上でなければならない筈であるから、当然右引継ぎの際のメモには以上の経過と数字が適確に記載されていなければならないし、また引継がれる現金も右の金額でなければならない筋合のものである。以上によつても被告人林の主張するような金銭保管の委託関係の存在は全く否定せざるを得ないのである。弁護人等はこの点について、右小切手二通は元来被告人林個人のものとして保管を依頼されていたのであるから、これに代る保管現金は経理上片掛部落の共有金とは別に被告人林個人のものとして取扱つてきたので、右引継ぎの際にはこの現金に限り前記メモに記載しなかつたものであると主張しているけれども、当時は北電から片掛部落に交付された共有金の使途につき、同部落内に大きく紛争が起つており、且つ右共有金保管の当面の責任者である被告人林等が横領罪の嫌疑で告発されていた時期であり、そのためにこそ前記のような部落共有金の引継がなされたのであるから、下坂順吾がこれまでの部落共有金保管者の立場にあつたものとすれば、同部落共有金に少しでも関連があると思われる現金については、経理上の名目の如何を問わず部落に返還すべきものは部落に返還し、被告人林個人に返還すべきものは同被告人に返還し、自己の責任の所在を明確にしておくのが、少くとも大会社の経理部長のような要職にあるものの当然なすべきことであり、また当然そうしたであろうと思われるのである。然るに右引継ぎの際、被告人林個人に対しても右金員を返還したものと認められる証拠は全く存在しない。弁護人等の前記主張は、殊更に本件当時の現実の事態に眼をおゝい、形式論に根拠をおく事後弁解的なものであつて到底採用することのできないものである。
(三) 次に昭和三二年四月下旬頃、山二証券株式会社横井春見が、下坂順吾の依頼により金額一、五〇〇、〇〇〇円位の東洋紡九、〇〇〇株の売買をした架空の取引計算書二通を作成したことである。右事実は横井春見の証人尋問調書、実物取引計算書(昭和三三年裁領第六六号の証第二八号)により明らかであるが、当時は既に前述したとおり、片掛部落共有金の問題が刑事々件にまで発展しようとする状況下にあり、下坂順吾においても当然これ等の状況を知悉していたものと認められるから、同人がこの時期において何故に斯様な内容虚偽の取引計算書を作成して置かねばならなかつたかが、本件の事実認定について一つの重要な鍵をなすものと思われるのである。この点については下坂順吾は、被告人林から既に(一)において述べた小切手を一時的に株の売買に利用するように依頼されていたが、これをしていなかつたので形式上依頼どおりの株の売買取引をしたことにし、同被告人からの受任事項を忠実に実行していたことを後日証明するために作成して置いたものであると述べているけれども、被告人林の立場に従えば、同被告人は下坂順吾に絶大の信頼をおいてこそ同部落共有金を保管させたことになるのであり、また下坂順吾においてもこの信頼にこたえてこれを受託した間柄であるから右のような目的のためにこのような小細工をしなくとも、言葉の交換をもつて充分その信頼を維持し得るものと考えられる次第であるから、下坂順吾の前示弁解は省みて他をいうに等しく到底採用することができない。却つて右事実関係からみて右架空の取引計算書を作成して置いた目的は、当時の片掛部落内の情勢、下坂順吾と被告人松岡との関係、同人の地位、立場などから考えてその頃、下坂順吾の手許には尚一、五〇〇、〇〇〇円程度の金員が保管されていたものであるとの偽装アリバイを用意して置くためのものであつたと認められないこともないと考えられるのである。
(四) 本件金員の授受が、被告人林の主張するように、単なる金員保管の委託関係に過ぎないものであるならば、その法律関係は至極単純であり、その経理関係は正確でなければならないし、また契約関係の終了は自然にしてスムーズでなければならない。然るに本件は判示各証拠によつても、以上認定した事実関係によつてもその経理関係の内容は不正確であり、契約関係終了の際の事態は複雑且不自然であると思われる点が非常に多いと謂わなければならない。従つて本件金員の授受関係を目して単なる金員保管の委託関係であると認めるには以上詳述したとおり、余りにも多くの不自然且作為的な事実が存在し過ぎると思われるのであり、況んや、本件については(イ)佐藤利次の検察官に対する各供述調書、実入用額の部と題するメモ(昭和三三年裁領第六六号の証第二一号)によつても、本件護岸問題解決前に既に被告人松岡を初め、右護岸問題解決に関係した人々に対し相当額の謝礼を供与する意図のあつたことが認められ、そのうち既に金谷一雄、斎藤大六に対してはその意図どおり、相当額の報酬金が支払われていること、(ロ)昭和三一年一一月二〇日住友銀行成城支店において五、〇〇〇、〇〇〇円を借入れる際、全額現金を要求している事実並びにこれが容れられなかつたところから、同日更に田中彰治方において即時現金化して持帰つているが、当日全額現金化を要求し且これを現実に実行しているところに一つの疑問が持たれることなどの諸点も存在するので、結局本件は、判示各証拠並びに以上認定した事実関係から綜合して、被告人林が被告人松岡に対して本件護岸問題解決の謝礼として賄賂を供与したものであるとの被告人林の前掲検察官に対する一連の自供を信用せざるを得ないのであり、このように認めることにより、以上認定した多くの疑問点を合理的に然かも一貫してこれを理解することができるものと思料されるのである。
以上の諸点により、被告人林と下坂順吾との間の本件金員の授受関係が被告人林の主張するような株買付のための金員保管の委託関係とは認められない理由の一端を説示したわけである。而してこれ等の諸点は何れも被告人林と下坂順吾との関係において生じたものであり、直接被告人松岡との関係において生じたものではないから、被告人林と下坂順吾との間の右金員の授受関係が前示のように適法な金員保管の委託関係とは認められないということからだけでは、論理的、必然的に本件金員は被告人林から被告人松岡に対し判示認定のような賄賂を供与したものであると認定し得ることにはならないけれども、被告人林は右金員の授受の趣旨について従来二つの異つた供述をしているのであり、一つは本件護岸問題解決の謝礼として供与したものであるとする供述(被告人林の検察官に対する昭和三一年六月一三日付、同月二五日付、同月二六日付、同月二九日付の各供述調書等)、他は株式買入れのため右金員保管を依頼したものであるとする供述(被告人林の当公判廷における供述、同被告人の検察官に対する昭和三一年七月二四日付の供述調書等)であり、而してこれ等の供述において明らかにされている二つの趣旨のみが本件金員授受の趣旨として考えられ得るところのものであるから、この両者の供述が本件に顕われた他の一切の情況証拠に照し孰れを信用し得るか、若し一方を信用し得ないということになれば必然的に他方を信用し得ることになるという関係にあるので、特に被告人林と下坂順吾との間において生じた事項を取上げ、それが適法な株買付のための金員保管の委託関係とは認められないことを説示したわけである。従つてこの両者の間の本件金員の授受関係が右のように株買付のための金員保管の委託関係とは認められない以上、この趣旨に副う被告人林の前示供述は信用することができず、当然に右金員は本件護岸問題解決の謝礼として被告人松岡に供与したものであるとする前示供述の方を信用し得ることになり、また本件について掲げた判示各証拠は充分右供述の真実性を補強しているものと考えるのである。而して被告人林の前者の供述即ち謝礼として供与したものであるとする供述においては勿論、後者の供述即ち株買付のための金員保管を依頼したものであるとする供述においてさえも、被告人松岡は被告人林と下坂順吾との間の本件金員の授受関係について充分その情を知つていたことが認められるわけであるから、本件金員が具体的には被告人林から被告人松岡の手を通じて下坂順吾に手渡されたものか或いは直接下坂順吾に手渡されたものか、その点は供述自体からは必ずしも明確ではないが、兎に角下坂順吾がこの金員を受取りこれを保管していたことについてまことに明らかな本件においては、右金員は被告人林から被告人松岡に対し本件護岸問題解決の謝礼として供与したものであるとする判示認定を左右することにならない。
(法令の適用)
被告人松岡の判示第一の(二)の収賄の点は、刑法第一九七条第一項前段に該当するところ、所定刑期範囲内で同人を懲役一年六月に処し、なお同人の収受した判示金四、九二三、五〇〇円は賄賂であるが、これを没収することができないから、昭和三三年四月三〇日法律第一〇七号による改正前の刑法第一九七条の四に従い、同人から主文掲記のようにその価額を追徴することとし
被告人林の判示第一の(一)の贈賄の点は、前記昭和三三年法律第一〇七号による改正前の刑法第一九八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、第二の(二)の業務上横領の点は、刑法第二五三条、第六〇条に該当するところ、贈賄罪につき懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文並びに但書、第一〇条に従い、重い業務上横領の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人林を懲役一年に処し
被告人佐藤の判示第二の(一)の所為は、刑法第二五三条に、判示第二の(二)の所為は同法第二五三条、第六〇条に該当するところ、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条に従い、犯情の重い第二の(一)の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人佐藤を懲役一〇月に処するが、情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項に従い、同人に対し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用し、主文掲記の如く各被告人に負担せしめる。
(本件公訴事実中無罪の部分の判示)
尚被告人林に対する本件公訴事実中、「被告人林唯義は昭和三十一年十二月頃、肩書住居において、右業務上保管中の現金二一万五千八百二十五円をほしいままに着服横領した」(昭和三二年六月一五日付起訴状)との事実について審究すれば、被告人林、同佐藤の当公判廷の各供述、被告人佐藤の検察官に対する昭和三二年六月八日付、被告人林の検察官に対する同年同月十四日付(三通)各供述調書、林成一の当公判廷における証言を各綜合すれば、昭和三一年一二月二八日頃、被告人林宅において、被告人林、同佐藤及び林成一の三名で、本件護岸運動に使用した運動費の清算をなした際に、被告人等は相談の上、北電から部落に斗争費として交付された五、〇〇〇、〇〇〇円の中から二〇〇、〇〇〇円を昭和三二年頭初の鉄道誘致運動費用として別除し、被告人林において、これを保管した事実が認められる。もつとも右金員の使途について、「これを私の個人の金と一緒にして家の費用等に費つた」旨の、被告人林の検察官に対する供述記載部分があるが、右供述記載によつては、被告人林、同佐藤の当公判廷における各供述、証人林ひろの証言等に徴して、当裁判所は被告人林において、右運動費を自己のために費消したとの心証を得ることは出来ず、他に右金員について、個人の金として当時費消したと認めるに足る証拠はなく、結局前記公訴事実は証明不十分と言わなければならないから、刑事訴訟法第三三六条により主文において無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 野村忠治 斎藤寿 山中紀行)